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すきなこと


このまえの展示のときに、青羊(あめ)鈴木藍ちゃんが、動物たちにまみれて撮影をしてくれました。彫刻達もなんだかとっても嬉しそうに見えます。
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彼女の音楽が大好きです。兄の関係もあって音楽の友だちができてとても嬉しく、また、音楽も美術もいつも、一緒だなあと感じます。

すきなことを仕事にする。
誰でも、そうありたいと思っています。
だけど、とても厳しい。それも、当たり前です。
すきなことであればある程、ゆずれないものがあって、本気なほど、激しく傷つくことばかりです。

だけど、すきなことだから、あきらめたくないし、がんばって続けます。
お金ですきなことを汚したくないと、ある時期はとても、仕事と美術の関係に、苦しみました。
だけど、目的はお金を稼ぐことでなく、たくさんのひとを、美術の力であったかくしたい、そう思ったら、今の私を取り巻く全部が、大切な一歩づつなんだと気づきました。

すきなことは、すきなだけすきなまま楽しみたい、という想いもあります。
わたしにとっては、音楽だったりスポーツだったり。
美術も昔はそうでした。
絵がすき、粘土がすき、ものづくりがすき。
ほめられたい、見てもらいたい、わかってもらいたい、そんなかんじでした。

今は決定的に違うことがひとつ。
「見返りがなくても、ごく自然に続けるだろう」
ある朝起きて、そんなことを漠然と思いました。
私は呼吸をするのと同じように、絵を描くだろう。
食事をするように、美しいものを食べて、
ただ生きるように、彫刻するだろう。

すきなことは、いつしか生きることそのものに変わっていました。
それに気づいた時、生きていて一番感動した朝でした。
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藍ちゃんにとって、うたうことが生きることであるように、
私にとって、つくことが生きること。
世界中の一人一人が、自分で選んだようで本当は、神様だか何だかわからないけどおっきな力に選ばれた、自分の仕事をするための命なのかも知れません。


藍ちゃんのブログに、こんな歌の歌詞がありました。ミルトンさんというひとが、うたっています。


それは人生の宴でか パンを貰おうとしたバールでか
多くの人が この職業に足を踏み入れた
楽器を演奏し 歌う仕事に
聴衆が木戸銭を払おうが払わなかろうが どうでもよく
歌うことそのものが 陽光の元へと至る道だった
昔の自分を思い出すことがある
歌うためなら 何も苦にならず すべて快適だった
トラックの荷台に乗り でこぼこ道を揺られていく旅すらも
そんな風だった
泥まみれの服 大地で一杯の魂
アーティストはみんな 人のいる場所どこへでも
出かけていかなきゃいけない
過去においてそうだったなら これからもそうなのだ
歌は僕を溶かす 決して人生に退屈しない
無論 歌うことにも


あまりに自分の気持ちと一致するこのうたと、藍ちゃんとの出会いに、
つくりてにとって、気持ちは音楽でも美術でも、まったく同じなんだと、気づきました。
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たくさんのつくりての仲間達が、同世代でがんばってくれているのはわたしにとって、一番の励みになります。
自分のその誰かの励みになれるよう、この仕事をずっと続けよう、そう思います。
続ける、ということは、とても難しい事です。長く、一生ひとつのことを続けるということは、進歩し向上しないと、決して時代について行けません。

10年後も20年後も、この唄のようにまっすぐに、続けて行きたいなと思います。
この唄を教えてくれた藍ちゃんに感謝を込めて。
by m_kirin30 | 2010-10-28 09:07 | 日常
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