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食べるデッサン

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わたしにとってデッサンは食事のようなものです。
自分の内にあるイメージなんてたいしたことないし、それをもとに作っても、どこかの記憶のあいまいな断片であるような気がしてならず、常に他のものから、あたらしく吸収したものを体に蓄えておきたいという行為です。
デッサンで必要なのは、吸収力。
せっかくいいものを見て、食べても、それを感覚に取り込む力が無いと、体を素通りして、意味のないものばかり吸収してしまいます。
おそらく見えている世界は自分も他者も完全に一緒で、
目で取り込んで食べ、吸収する情報が、人によってちがうのです。
どこで、どんな時に、どんなものを食べて感覚を育てているかが、その人の芸術的感覚のすべてなのでしょう。

そして、次に大事なのが、飢え、のちから。
ハラペコじゃないと、何もかもがおいしく感じられません。
目が、感覚が常に飢えていないと、きっと本当のデッサンをできないのです。
吸収する準備がととのった体でデッサンに向かわないと、全くもって時間の無駄になります。
飽食は、感覚を病気にかける、最もおそろしい誘惑のようなものです。
美しいものばかり見続ければいいわけは無く、きっと泥の中を這いずり回って見つけるちいさな金の輝きを探すように飢えていないと、だめなのでしょう。

この、デッサンの食事を飢えた時にとらないと、
感覚は餓死し、過去の燃料を使ったエネルギー切れの彫刻に、どんどん、どんどん落ちてゆく気がします。
そして燃料が枯渇している事にも気がつかず、死んだまま立っている木のように、中身はすでに空っぽの彫刻になってしまう気がしてなりません。

また、感覚の燃料は、知らないうちに、肉食野生動物のような猛獣に見つかり、逃げる事に失敗すると食べられてしまう、過酷なサバイバルです。社会、人間、情報、たくさんのウイルスや敵が、豊富なおいしいエネルギーをねらっても来ます。自分の感覚は、死守しなければなりません。

私にとっての燃料は自然物のデッサンによる感覚の燃焼ですが、
人によっては書物の中や、
星空を見上げた時や、
海に潜って見つける感覚のエネルギーもあるでしょう。

いつもとなりで見ているはずの犬ですが、
デッサンをしていると、
この子の老いに、一番気づかされます。
カタチあるものがかならず滅びるという事実だけが、
私を彫刻に奮い立たせてくれる、唯一の、原因になっています。
ものの、いのちの死だけが、生産の、活力源。
まさしく「時」が存在する事が、彫刻をも、刻んでいるのでしょう。


デッサンというのも、いのちの取引に、他ならないのだなと、
命がけのデッサンを、重ねられるように、
今日もまた、懲りずにあたらしい感覚の食べ物を、探しに行きたいと思います。
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1000体どうぶつ、今100体が完成しました。
5がつの大阪の展示には、何個で来ているかな?
3/17日にジャズ&彫刻のイベントが東京でまた行なわれます!
このミニ彫刻も連れていこうと思うので、音楽も美術も、スキー!というひとは、ぜひ遊びにきてくださいね!
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by m_kirin30 | 2012-03-03 12:16 | 日常 | Trackback | Comments(2)
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Commented by ふくりんご。 at 2012-03-10 08:15 x
もう100体!? 凄いです><
月くんは皆のリーダーさんかな^^
沢山の子に囲まれて幸せそう♪

1枚目の月画伯、格好良い〜
Commented by m_kirin30 at 2012-03-22 10:52
ふくりんごさま:月はなんだか子分がたくさんできてうれしそうです(笑)
今約150体、3月終わりまでに200体は完成せねば!です!
みお
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