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黒柴月くん

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写真 砺波周平さん

黒柴月くんがこの世界から旅立ちました。
忘れない鮮やかなうちに、月くんの一生を振り返っていきたいなと思います。

月くんとは、ある日突然出会い、一緒に暮らし始めました。
そして、ある日突然、旅立って行きました。

小さい頃から動物が大好きだった私は、実家で小学校3年生の時に一匹の子犬を飼うことになり、たいそう可愛がりましたが、病気で一ヶ月で亡くなってしまいました。
その後、高校二年生のときにかわいい猫が来て、猫と実家では暮らしていました。

3年も浪人してやっと入った念願の美術大学、東京造形大学2年生の秋の終わりの日、木彫をするための木を買いに、私は原付を走らせました。
木材やさんに向かう途中、キャンキャンと犬の鳴く声がして、私はなんだかそちらの方へあるいていきました。
するとちいさなちいさな黒柴が、尻尾をフリフリしながらじっとこっちをみています。
やすし犬舎さんというブリーダーさんのお店が、そこにはありました。大きなリクガメもいたり、不思議な犬舎でした。
なぜがその子に釘付けになってしまって、「犬と暮らしたい」という思いがどんどんふくらんできて、抑えることができませんでした。幸い古いちいさな貸家で暮らしていたので、動物を飼ってもいい物件に住んでいて、お庭も小さいながらもあったし、なんとか暮らせるんじゃないかと思って、そのままちいさな黒柴くんを、連れて帰ることにしました。
この子のために、お金を稼ごう。この子を残すために、デッサンをもっと勉強しよう。
大学二年生の冬には、月くんの初めての彫刻を作りました。
私は朝の6時半から大学に行き、夜遅く家に帰るほど制作が好きだったので、家にずっと置いていくのがかわいそうに思い、モデルにもなるし大学に連れてしばらく通っていました。
しかし犬が好きな人ばかりでもなく、犬を連れて行くことを、よく思っていない人もいました。
そんな中でも、クラスメイトの本多絵美子ちゃんは、自宅で老犬の柴犬を飼っていることもあり、黒柴くんのことをたいそう可愛がってくれて、「月くん」というこの世界で一番素敵な名前のプレゼントを、してくれました。
月くんは、その後も田村先生に可愛がってもらい、警備員さんやバスの運転手さんにまで可愛がってもらい、果ては足を甘噛みされたにもかかわらず当時の学長にも、可愛がってもらいました。

私は月のデッサンを、1000枚は描いたでしょうか。大学時代は、月くんとともに、デッサンを鍛え、いつか最高の犬が作れる彫刻家になりたいと、夢を膨らませていました。

月くんとはどこへでも一緒に行きました。
車が大好きで、友達に乗せてもらったり、先生に乗せてもらったりして、いろんな美術館や、旅行や、お散歩、たくさんの時間を、ほとんど一緒に暮らしました。

その後、大学院に進むことになり、お金もそれほど使えないので、ちいさなアパートに引っ越すことになり、
月くんは、私の生活が安定するまでの4年間、私の実家でうちの両親と暮らしました。
うちの両親は本来とっても動物好きなので、大変可愛がってくれました。
今となっては、お散歩も楽しかったし、ドックランやドックカフェなんかも行けて、最高の時間だったと、両親は話してくれました。
愛知県で、大学院も卒業し、彫刻家として生計を立て、なんとか犬一匹養えるようになった頃、月くんは愛知県のまたまたちいさなお庭のついた貸家に、私と一緒に暮らすことになりました。


つづく。



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広島県で初の個展が、三良坂平和美術館で開催されます。
9/16~11/5
ぜひ、西日本周辺の方はこの機会に足をお運びください!


by m_kirin30 | 2017-08-30 11:57 | 日常
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